195.3円と159.3円、その36円の差は何を示すのか
195.3円と159.3円が並べられると、その差である36円が、ただちに一つの結論を示しているように見える。一方の価格が、政策や市場の変化によってもう一方まで下がる――そんな読み方もできる。だが、数字が整然と並んでいるときほど、最初に問うべきなのは、それぞれが何を測っているのかという点である。
この二つの数字は、まずXへの投稿に示された数字である。どちらも実際の給油所の小売価格なのか。同じ日付、同じ製品区分、同じ単位で示されているのか。そこを確認するには、投稿だけでなく、再確認できる元の表まで見なければならない。195.3円が日本のレギュラーガソリンの税込み平均小売価格だとすれば、調査地域や調査週、給油所の表示価格なのか、平均値なのかを示す必要がある。159.3円が米国の価格に由来するなら、元の単位がドル/ガロンなのか、円/リットルに換算されたものなのか、どの日の為替レートを使ったのかも必要になる。条件が示されなければ、同じ物差しで比べているように見えて、実は別の物差しから出た数字かもしれない。
価格の「観測値」と、政策の効果を示す「反実仮想」は、同じものではない。ある場所でその日に調べられた給油価格は、その時点の税率、精製費、輸送費、在庫、為替、競争条件のもとで成立した観測値である。これに対し、「その措置を取れば159.3円になる」という数字は、反実仮想の推計だ。その場合には、措置がなかった場合の基準、何の費用が変わり、何を一定としたのか、推計の幅が示されなければならない。観測された価格を別の価格の後ろに置くだけでは、ある政策によって前者が36円下がることの証明にはならない。
この数字を確かめるために、先に特定の政治的判断を受け入れたり退けたりする必要はない。まず、計算を再現できる形にすればよい。元の表の題名と日付は何か。価格はレギュラーガソリン、軽油、それとも別の製品か。消費税やその他の燃料税を含むのか。日本の数字はリットル単位か。米国の数字はガロンから換算されたのか。使った為替レートと、その時点は何か。そして36円は二つの観測値の差なのか、それとも政策による増減の推計なのか。どれか一つでも示されなければ、読者は自分で計算し直せない。
国をまたぐ比較には、さらに制約がある。米国と日本では、小売価格、税制、精製・配送網、給油所の営業形態が同じではない。両国の数字を同じ日に同じ容量単位へそろえたとしても、分かるのは、その日の二つの市場における価格の位置にとどまる。差額だけから、どの政策が差を生んだのかを判断することはできない。政策を比べるなら、税、原料、為替、輸送、製品規格を分けて示す必要がある。それらを一つの目立つ数字に押し込めてはいけない。
投稿に関連して言及されている「米国の輸出禁止」という説明も、同じ証拠の水準で扱う必要がある。ここでいう「禁止」が、法律上の全面禁止なのか、特定の原油に対する許可制限なのか、一時的な行政措置なのか、それとも市場関係者による報道なのかで、意味は大きく異なる。対応する法律本文、行政命令、所管機関の発表、執行規則がなければ、投稿の記述を「米国がすでに輸出禁止を実施した」と書き換えることはできない。確認されていない措置を、195.3円と159.3円の差の説明に使うこともできない。現段階では、検証を要する報道上の主張として扱うべきである。
これは、数字が必ず誤っているという意味でも、数字を示した人が意図的に誤解を招いたという意味でもない。まだ証拠の確認が終わっていない、ということである。数字は出典、日付、計算方法に戻し、政策効果は検証可能な仮定に戻さなければならない。確認できるのは、この対比が検証すべき問いを示していることだ。36円がある政策の実際の効果を表すのか、そこからさらに大きな政治的評価を導けるのかは、まだ確認できない。
読者が発信者に求めるべきなのは、最小限の再計算表である。二つの元の価格と出典へのリンク、統計の日付、製品の定義、税の扱い、計量単位、為替レートと換算式。159.3円が予測値なら、基準となるシナリオと感度の幅も必要になる。これらがそろえば、誰でも元の数値から195.3円、159.3円、そして36円を計算し直せるはずだ。計算できないなら、どちらの数字を支持するかを決めるより先に、それはまだ再現可能な証拠になっていないと認めるのが妥当である。